[ ポエム化社会 ]
◎ポエムな言葉は美しさと強さを持ってるだけに、権力に 利用されても、
批判できない。
振り返りますと 2015 年、「ポエム化社会」という新しい表現が生 まれました
今一度、考えてみます。
「ポエム化社会」とは、まる でポエムのような、ふんわりとした言葉遣い、
内容があるのかない のか分からないような言葉があふれている社会のことを指します。
ポエムな言葉は、感情的であり、黙示的でもあります。
それを現在、 政府やマスコミまでが濫用しているというありさまです。
それは、 「夢」・「勇気」・「仲間」・「絆」・「寄り添う」
・「イノベー ション」といった言葉が、具体的な意味を持たずに使われることが 多い状況です。
ポエム化社会の背景には、以下のような要因が挙げ られます。
1言葉の曖昧さの利用:意図的にぼかした文章でごまか そうとする傾向があります。
2公的な場でのポエムの容認:本来、 公的な文章は明確であるべきですが、
メディアなどがポエム的な表 現を肯定的に取り上げることで、その市民権を得てしまうことがあ ります。
3国民世論の傾斜:戦時中の「欲しがりません、勝つまで は」のような国策標語が国民全体に広がり、
特定の気分を醸成した ように、ポエムが国民の感情を高ぶらせ、危険な方向へ導く可能性 も指摘されています。
・・・詩とポエムの違いとして、鑑賞される 作品として作られたものが「詩」であるのに対して、
本来詩ではな いはずのものが、文章の技巧不足などによって結果的に生まれてし まったものが
「ポエム」と大まかに区別されることがありま す。
・・・「ポエム」とは、鼓舞する言葉のことで、スローガンや 社是としても使われています。
「ポエム」とはごまかしであり、 「夢や希望、絆」を謳い文句にした“やりがい搾取”か、
管理する ための“必要悪”とも言われます。
前向きで優しく、聞き心地 はよいが、大げさで意味不明な詩のような言葉が、
社会の あちこちに氾濫しています。
一見ギャグのような「ポエム 化社会」。
しかしその背景には、深刻な問題が潜んでおり ます。
・・・現在、多くの聴衆を集め、「日本一の居酒屋」を決 める「居酒屋甲子園」なる
イベントが開催されております。
決勝大 会の審査基準は料理の味や接客ではなく、居酒屋で働くことの「希 望や夢」を謳いあげる
「魂の“ポエム”」です。
そこでは居酒屋で 働く若者が、自らの過去のつらい体験を告白し
「愛」・「希望」・ 「勇気」・「絆」・「仲間を大事に」・「笑顔」等々の言葉をちり ばめて、
決して楽ではない居酒屋の現場で働く中で、前向きに生き る希望や夢を見つけることができたという
「喜び」を情感たっぷり に訴えかけます。
「夢はひとりで見るもんなんかじゃなくて、みん なで見るもんなんだ!人は夢を持つから、
熱く、熱く、生きられる んだ!」と絶叫する若者。
あるいは、「変わりたい。
今の自分は嫌 だ!みんなから愛される店長になりたい!」と、目を潤ませながら 語る店長。
そして、それを聞いた観客も感激して涙ぐんでいらっし ゃいます。
同様のコンテストは今、居酒屋だけではなくトラックド ライバーや
介護士・歯科助手・パチンコ店員・エステティシャンな ど、10 以上の業種で行なわれています。
出場者は働く「夢と誇り」 を、全身の身振り手振り、満面の表情に浮かべて絶叫し、
涙まで流 して訴え、観客はそれを見てストレートに感動しています。
そんな 「居酒屋甲子園」をどのように思われますか?
どうにもむずがゆくてたまらない気持になるというかたがいらっしゃいます。
あるいは それは新興宗教や、自己啓発セミナーにもよく似た一種異様な光景 に
見えたとおっしゃるかたもいらっしゃいます。
・・・世の中はい つからポエム化して、ポエムに何を求めているのでしょうか。
我が 国では 1980 年代からキャッチーでわかりやすいポップス、
たとえ 、 ば、コマーシャルソングのように、15 秒とか 30 秒の短い時間で、
どう人の心を引き寄せるか、どうやって強く印象づけるか、といっ たことが重視され始めました。
機能性を持たせたものが増えてきま した。
「頑張ろう」とか「夢はかなう」とか「明日があるから」と か、ただ前向きなだけで、
まったく現実を直視していない歌詞や世 界観の曲が多くなってしまいました。
「いまある環境に最大限に感 謝する」みたいな曲が多くなりました。
何にでも感謝しがち。
しか も、若いときに聴く音楽は、人格形成にもかなり影響するのです。
特に 10 代は。
そういったポエム的な音楽が、悪徳経営者の語る甘 い言葉に騙されてしまう若者を輩出しているといわれます。
・・・ 感情的なごまかしは危険です。
書き手の「何か」が過剰に溢れた言葉。
意図的に「何か」を隠すため、論理を捨てて抒情に流れた文章。
そこに「ポエム」は現われます。
感情過多で演出過剰な、鳥肌モノ の自分語りは危険です。
J ポップの歌詞や広告のコピーならまだ許 せますが、
いまやこの国では、ニュースや政治の言葉までもが「ポ エム化」しています。
支配層が発信者となってポエムが蔓延する構 造がブラック企業に直結しているのです。
意識高い系の若者とか、 行政とか、もうどんどんポエム信者が増えている状況です。
美辞麗 句が利用されますので、性善説の強い真面目な人ほどポエムビジネ スに騙されます。
介護現場で働きながら「夢・絆・仲間・熱い情 熱・熱い想い・志・感謝・感動・成長」みたいな
美辞麗句を浴びま くって。
やりがいや夢を煽っての違法長時間労働が生まれています 否定しづらい綺麗な言葉を徹底的に利用しますので、
強烈な批判が ない状況が続いております。
臆することなく、「気持ち悪い」・ 「おかしい」と言っていかないと止まりません。
・・・「介護とい う仕事は本当に高潔な仕事」まさに“聖職”。
困っている誰かのた めに、何かをしてあげたい。
そんな純粋で強い意志を持つかたがた の集まりですが現実、不幸やわだかまりの温床になっている状況は
とってもつらいことです。
ポエム的な世界感とか言葉で人材を洗脳 して、搾取するような構造が我が国の就労現場では常態化していま す。
また、「ポエム化は、商品・サービスの圧倒的な価値を作り にくくなった時代を象徴している」といわれます。
商品やサービ スの品質が高まり、なかなか差別化できないから、
ポエム=ゆる ふわな表現で訴えかけるしかないのだといいます。
その代表例と して、俗に「マンションポエム」と呼ばれるものがあります。
「邸」・「丘」・「杜」・「住まう」といった格調高そうな言葉 。
、 を過剰に使うマンション広告のキャッチコピーです。
「高み」で はなく「貴み」。
東京大学が近いということのみで、「叡智」と なります。
ほかに語るべき強みがないことの裏返しです。
ベンチ ャー企業の求人広告も、ポエム化が激しいといわれます。
「リー ディングカンパニー」・「圧倒的成長」・「次世代」といった言 葉が頻出語。
ベンチャー企業の求人広告は、具体的なようでいて 具体的ではない。
それは、まだ実績がなく、具体的な強みや魅力 をアピールすることが難しいため、
どうしても、ゆるふわな言葉 を盛るしかないといわれます。
成長ベンチャーとして評価されて いるリアルワールドを強調してイマドキの若者を採用するために
戦略的にコピーを考えた面があります。
実際、そうした言葉に魅 力を感じる若者が多いということです。
ベンチャー志向の若者に は、意識が高くて思いは強いけれども、
根拠のない表現に好奇心 がふつふつと湧いてきてしまう人が多いことが統計上で明らかと なっております。
ベンチャー企業の求人広告の社長紹介ページで 「元リクルートのトップ営業マン」
というフレーズを見かけます が、何か語っているようで何も語っていない。
そのようなことは 働き手にとっても顧客にとっても関係ありません。
一見、すごそ 、 、 、 うですが、それをアピールするということは、ほかに売りがない ということ。
自称「元リクルートのトップ営業マン」は、掃いて 捨てるほどいらっしゃいます。
・・・それにしても、何も語って いないポエムに、なぜ人は踊ってしまうのでしょうか。
そこには ゆるふわな言葉であるがゆえに、さまざまな解釈を生んで、みん なが頑張れるし、
みんなを巻き込める「あいまい性の合理性」と いうものがあります。
また、ポエムで社員を鼓舞する企業が少な くないことも現実です。
企業がポエムを利用する背景には、労働 環境の悪化があるといわれます。
「あいまい性の合理性」によっ て全社員の気分を高揚させ、社員も一瞬でいいから元気になろう とする。
いわば、ポエムは栄養ドリンク剤。
・・・ポエム社会化 の究極の問題点は、政治家や役人の言葉、官公庁のプレスリリー スなど、
説明すべき責任のある文章がポエム化していることです 本来、情報を運ばなければいけないのに、
気分を運んでいるとい うことです。
典型的な例は、オリンピックの招致委員会の「今、 この国には夢の力が必要だ!」です。
また、わざと難しいカタカ ナ発信があります。
「ホワイトカラーエグゼンプション」とか。
これは要するに、管理職の残業代を払わないということ。
「管理 、 。
職残業代削減法案」とか言えば、とんでもない法案だって話にな りますけど、
わざと難しいカタカナにして、わかりにくくしてい ます。
漢語で言うと、物事は理解しやすくなります。
あまり理解 してほしくないときに、カタカナにするのです。
更にポエム的表 現の「寄り添う」・「触れ合う」・「想い」は
本来、「交流」・ 「支援」・「計画」というように、必ず漢語になるはずなのです。
漢語になっていれば、誰に責任があるのかが明確ですが、「寄り 添う」と言った瞬間に、
ぼやっとしてしまいます。
いくら予算が つぎ込まれて、いつまでに何をどうするのかという責任論から離 れてしまうのです。
また、「被災者に寄り添う」って表現をして お役所側は具体的には何もしないけど応援しています、
みたいな 気分。
聞く側は、官僚的な硬い言葉を並べられるより、やわらか い「やまと言葉」のほうが、
心がこもっているような錯覚を起こ します。
ですから、政治家や役人がカタカナ・英語・やまと言葉 を使ったら注意しなければならないのです。
・・・我が国の一部 の企業は、かつての愛国心教育をされています。
企業が利潤の追 求のためにやっている部分も、もちろんあると思いますが、
「仲 間との絆」が第一だという気持ちを強く埋め込みます。
「絆を心 、 の支えに」という考え方は、今の 40 歳以下の人たちの強烈な特 徴といわれます。
60 代以上のかたの感覚では任侠映画の流行も ありまして、「仲間が第一」というの
は任侠の世界と捉えますが 「仲間との絆があらゆる徳目に優先する」と強く埋め込む友情原 理主義が、
今の若者の心をつかんでいる現実があります。
企業は 「うちの会社のために命を懸けろ」とはなかなか教育できません し、
何の説得力もありませんから、仲間と助け合うということを 徹底的に教育します。
「居酒屋甲子園」のかたがたも、「自分の 勤めている居酒屋のために命を張るぜ」ではなく、
あくまで仲間 のために頑張っているのです。
今を生きる中で、「自分には関係 ない」ではなく、ポエムが満ち溢れておりますことに注視します。
知らず知らず気づかぬうちに、自分もポエマー化しているなんてこ とがないように注意したいものです。
・・・ポエム的な言葉は個人 の心情や感情をうまく取り入れておりますから、共感を呼びやすい でも、
「じゃあ実際には何をするのか」というと、まったく姿が見 えてきません。
結果、責任範囲の明確さや意味が損なわれますので グレーゾーンが大きく、
具体的には何も提示されていないのに、納 得させられてしまいます。
こうした感情的なごまかしが生まれます 、 。
、 ので、ポエムは危険です。
また、企業のポエム化は精神的に成熟し ない大人を生み続けます。
高校球児が甲子園を目指して頑張る姿は 確かに感動します。
ですが居酒屋甲子園のように、いい年をした大 人が、人前で自分の希望や夢をぶちまけて感動するというのは、
家 族のために働くのが普通だった世代のかたがたには、あまりに幼稚 と映ります。
・・・専門分野の研究者より、「今後ポエム化が進め ば、年齢は大人なのに
精神的には未熟な人が増える可能性がある」 とのご指摘が多々あります。
今を生きる中で、「ポエム化社 会」を俯瞰的に見て適宜、人と接し、後輩へアドレスを行 う。
決して惑わされることなく見極める目をもって自分を 大切に生きる。
それが、より良き人生へのつながりではな いでしょうか。
<ポエム化社会の実態>:1“ポエムな言葉”が盛 り込まれた社歌を歌いながら体操する。
2社員に駅前清掃を強要す る。
3毎朝、日替わりで代表者が最近、家庭で起きた面白いことを 話す。
4向かいの人とハグをして「いつもありがとう」と叫ぶ。
5 毎年社長のお墓参りがある。
6会社に入るときには入り口にある社 章に一礼してから。
7事務所の壁に「社長に絶対服従」という社訓 が壁に貼ってある。
8事務所に入るときに、「ありがとうございま す」と言わされる。
9お客さまが来社時に、太鼓を叩いて全員で出 迎える。
10新入社員研修時は、駅前で歌を歌う。
あまりの事態に警 察が来て一騒動になり、翌年から山中の寺で歌うことになった。
11 ボーナスが出たら、会社への感謝の気持ちや使い道を書いて提出が 義務づけられている。
12事務所で使用する定規に「辛いは幸せにな る途中」というポエムが書かれている。
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