[ 切羽詰まった状態 ]
◎エゴが露呈するのは良いこと?
(エゴ:エゴイストの略)自己中心的な人
:「自己都合ば
かりを優先する」・「周囲への配慮が欠けている」・「主 張が強すぎる」
・・・切羽詰まった状態になりますと、人は自 分のことばかり考えるようになるような気もします。
「自分だけが 逃れたい!」というウンザリするくらいの体内エゴイズムを起因と して。
でも、それは「一人で生まれて一人で死んでいく」という人 間としてごく自然な思いではないでしょうか。
ただ、人間のエゴに おいて一番の問題は「何の利益がなくても他者を苦しめることがあ る」ということです。
「プライド」・「自分の正統性」・「正義」 を盾にして。
天下を統一した豊臣秀吉は、わが子同然に育てた甥に 「謀反だ」という噂が立った際、
その一族全員を殺してしまいまし た。
こういうことは動物にはないことで人間特有の出来事ですが、
「他者を苦しめる」エゴはさておき、自分自身と向き合うエゴは意 外と居心地面があります。
エゴの強い人じゃないと、なかなか付き 合いにくいとおっしゃるかたもいらっしゃいます。
「なんかみんな 一見穏やかそうに見えるけど、それが欺瞞的に映って、
エゴが露呈 して本性が出るのもまた良いのでは」という主張です。
・・・日本 人は、耐える力がすごいと言われます。
電車が止まって帰宅困難者 が出ても暴動にはならない。
黙々と歩いて帰ります。
仮に財布を道 端で落としたとしても、お金が入ったまま戻ってくることがありま す。
このようなことは、ヨーロッパやアメリカでは考えられないこ とです。
耐える力、誠実な民族性を持つ日本人が、「ある面、エゴ のような残酷さを剥き出しにすることは良いことです」
とおっしゃ るかたもいらっしゃいます。
誠実な面と、そうでない面というのは 表裏一体で誰もが持っているものです。
悪い面もあってこそ人間。
<人間の偶然性を「自分で選べる」と錯覚させるのは残酷 >
:道徳的な思いだけでできている人間の存在はありません。
むし ろ人間はもともと残酷な生き物です。
今の世の中、ポジティブ思考 が当たり前になっている時代。
「自分がしたいことをやりましょ う」・「好きなことができる社会にしましょう」というような。
で すが、実際は完全能力主義で、能力がなければ「したいこと」・ 「好きなこと」はなかなかできません。
例として職業選択では、な んでも選べるからこそある面、残酷な時代。
ものすごい選択の余地 がある一方で、こういうことに敏感に反応して、
引きこもっている かたがいらっしゃいます。
・・・かつて我が国では親が決めた相手 と結婚することが当たり前の時代がありました。
あるいは自分が就 くべき職業も全部決まっていました。
今は、相手を自分で選ばない といけませんし、仮に「誰も相手がいない」となりますと、
社会か らは敗者のように見られることがあります。
上から目線のかたが、 「結婚相手も仕事も、ちゃんと探せば、絶対見つかるんだ!」との 主張。
いかがなものでしょうか。
一度、冷静に「どんなにがんばっ ても報われないことがある」・「人には絶対的な能力差がある」
・ 「明日、交通事故で死んでしまうかもしれない」と考えてみます。
そう考えれば、生きている、それだけで価値があるように思えるも のです。
絶対に「そんな思いに至らない・絶対に見つからない!」 ということであれば、
人間は人を殺すかもしれないし、何かを盗む かもしれない。
そのようことをヨーロッパのかたがたは意外とドラ イにわかっていらっしゃいますが、
日本ではそのような教育をしま せんので、抵抗力がなくて弱いと言われます。
<「抵抗力」という強さを身につけるためには>
:やはり 「自分で判断する」・「自分で引き受ける」・「自分で責任を取 る」ということを徹底することが効果的。
「教養のかけらもない環 境に育ったから、魅力的な肉体の遺伝子を受け継がなかったから、
こんなにだめ人間なのだ」は違います。
とにかく人間のことは皆目 わからないということを思い起こしてください。
その中で、自分 の本質をそう決定して、それが人生を規定すると解釈されたとした ら、
その責任は自分自身にあります。
自分の「だめさ」を固定して それを親や状況のせいにすることは誤りです。
切り替えない限り、 未来永劫にわたって「だめ人間」になります。
ですが、一人の人 間の行為やあり方を決定するのは「確実にこれ」ということは全く わからないのです。
従いまして、どんな人でもどんな瞬間でも、 「いままで」を断ち切って新しいことを選ぶのです。
どんなに過酷 な境遇にあろうと、なるべくそれを人のせいにしないで「自分が選 んだのだ」と
言い聞かせることが重要です。
このことをちゃんと押 さえておきますと、強く柔軟で深みのある人、すなわち「よい大 人」になると思います。
・・・生きていく中の究極の選択で「危 険」と「安全」のどちらを選ぶかの場合、
あえて「危険」のほうを 選ぶとします。
「危険な状態にある」・「犠牲をはらう」ことでな いと、強さは身につかないようにも思います。
あるいは、黙々と切 手を黙々と貼るだけの仕事など評価してくれないような職業に就く 、
誰も評価しないことをやるってすごく大事なことと言えま す。
・・・「仕事」:もともとつまんない仕事に生き甲斐を見出そ うとするのは無理です。
逆に、どのようにして、そのつまんない仕 事に向き合うかを「自分」で考えますと、
強さが身につくように思 います。
コロナ禍では、「死ぬこと」・「残酷さ」・「不平等 さ」・「理不尽さ」が見えました。
ですが、「明日死ぬかもしれな い」と思うほうが生きられる強さを身につけやすく、
生きているこ との素晴らしさを実感できるということです。
・・・生きていく 中で切羽詰まった状態では、「いままで」を断ち切って新 しいことを選びます。
どんなに過酷な境遇にあろうと、な るべくそれを人のせいにしないで「自分が選んだのだ」と
言い聞かせて強く生きます。
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