『夢・目標の訪れ』
◎自然の流れ!・・・日々の労働の継続。
「持っていないと恥ずかしいもの」とか「持っているべきもの」と聞いて、あなたは何を連想しますか?
外出時ですとハンカチやティッシュでしょうか。
では、「夢」とか「目標」はどうでしょう。夢や目標を持っていないって、恥ずべきことでしょうか?
<「夢」・「目標」を持って当たり前の時代?>
今は、夢のある時代です。ひと昔前は、偏差値の高い学校を出て、
一流企業に就職することが最大限の成功……といったイメージでした。
しかし最近は、学歴がなくとも成功を掴める時代です。
成功への道が一つではなくなってきているのでしょう。
一流企業に勤めるばかりが成功ではなく、起業やフリーランスで成功を手にしている人もたくさんおられます。
その影響でしょうか、「夢」とか「目標」を持つことが当たり前という風潮が
強まってきているように感じます。
毎日普通に出勤して、オフもそれなりに楽しむスタンスのかたにとっては、
少々生きにくい時代かもしれません。
<意識の高い人のあつまり>
同性同士の集まりにおいて、うち一人でも、「夢」・「目標」を達成した参加者がいると、
その場の雰囲気がどうしても「意識の高い系」になりがちです。
「凄いよね、2年前に会社辞めて、いまじゃ社長さんだもの!」⇒「私も、○○の資格を取得したくて、
学校に通い始めた
⇒「あなたはどう?」⇒
「……」・・・この会話の流れですと、「夢も目標も特にないです、エヘッ」とは言いづらいですよね。
言いづらいどころか、「夢も目標もない自分はダメ人間なのか?」と、
マイナス思考に陥る危険性もあります。
<「意識が高くない系」でもいいじゃないか>
結論を先に言いますと、「夢や目標がない=ダメ人間」ではありません。
思うに、夢や目標に向かって努力できるのは、ある意味当たり前です。
そうではなく、夢や目標には該当しない日々の労働を、責任持って遂行することのほうが
尊いのかもしれません。また、いま現在夢や目標がないからといって、永遠にそのままとは限らないです。
日々淡々と生きているなか、夢や目標は不意に訪れるものです。
いわゆる「自分探し」をすることもなく、ある日突然見つかります。
夢や目標は、自分にとって必要な時期が来れば、自然と訪れます。
それまでは「意識の高くない系」として漂う生き方も大いにアリです。
夢や目標が芽生えたら、しばらくは全力疾走せねばなりません。
それまでは体力温存と思って、「意識の高くない系」期間を存分に楽しむのも決して悪くはありません。
コメントを残す