[ 抑圧からの解放 ]◎長く抑圧してきた自分を救い出してあげる方法。
<嫌われている気がします>
相談者より、「月に一度、食事会をがあるんですが、ここのところ全く楽しいと思えません。
なぜかわからないのですが、メンバーに嫌われているような気がするのです。 」
私から遠い席のメンバーは爆笑したりして盛り上がっているのですが、
私の周りはシーンとしていることが多く、考えすぎかもしれないのですが、
自分がいると白けるのかなと思ってしまいます。
LINEでも、自分が送ったメッセージにはレスがつかないことが何度かあったりして。
他のメンバー同士の結束がすごく固く見えて、自分はもう必要ないんじゃないかと。
被害妄想かもしれませんが、悩んでいます。
<それは実はまだ「悩み」ではありません>
悩みって他人との関係性のなかではじめて生まれてくるものです。
他人の存在があってはじめて、「自分のやり方」と違うその他人の行いを許せなく感じたり、
不愉快に感じたりして、その不快感から逃れたくなって苦しむ。
それが「悩み」になるのです。
でも、私は最近思うのです。
「その悩みをもたらした他人をどうにかすることでは、悩みは本質的には解決しないのではないか」、と。
彼氏に二股をかけられたとか、ブラック企業から抜けられなくて辛いとか、
お姑さんとうまくいかないとか、生きているといろいろなことがあって、その都度苦しみます。
それらを解消するために、問題に立ち向かい、その結果そこから抜け出せたら、
その問題はもう悩みではないんじゃないか。
「そうではなく、苦しみから抜け出すために考えつく限りのことをやってみて、
それでもどうすることもできないものが悩みなんじゃないかな」、と思うのです。
「友達と一緒にいても疎外感を感じる」ということに苦しんでおられるかたへ、
「それなら友達を替えたら良いのではないですか」と助言をし、
「じゃあそうします」と、アドバイス通りに行動を起こしてみたとします。
そして新たな友達とは気が合うのでとてもハッピーになった。
そんな場合、それはもう悩みではないわけです。
本当に悩みとするべきなのは、「友達を替えてみても、やっぱり新たな集団のなかで
疎外感を感じてしまう」・「いろいろやってみたけど、同じ悩みが自分に付きまとってくる」と
自覚した時ではないでしょうか。
ですので、まずは苦しみの解消に向けていろいろな行動を起こしてみると良いと思います。
友達を替えてもいいですし、これまで脇役的な役回りだったら、積極的に先導役をかってみるなど、
グループ内でいつもと違うポジション取りをしても良いかもしれません。
そういうことをやってみてからでないと、「この苦しさはどうも周りの人のせいではなく、
自分のなかの問題が引き起こしているのかもしれない」、という気づきに至らないのかもしれません。
環境を変えても、行動を起こしても、自分はなぜ同じ苦しみに付きまとわれているのか。
それが悩みの本質なのではないかと、私は思うのです。
不誠実な彼氏や、思いやりのない友達や、身勝手な姑や、搾取する気満々なブラック企業など、
悩みの本質は「自分の外」にあるのではなく、「自分のなか」にある。
その「自分のなかにある苦しみの種」の存在に気づかせてくれるのが、
自分の周りで起こるトラブルだったり問題だったりするのではないでしょうか。
<なぜそこまで承認されたいのですか?>
どうやらこれは自分のなかの問題らしいぞ、と気がついたらやるべきことは、
「そういう苦しみの感情が起きた状況」をできる限り思い出してみることです。
前述の相談者さんは今の友達関係を通じて、人生ではじめて疎外感を経験したのでしょうか?
そうではないのではないかと思います。
職場・大学時代・高校時代・中学時代・小学校・幼稚園・・・どんどん遡ってみてください。
たとえば職場で、同期に「自分だけあんまり好かれていない気がする」、とか、
部活のコーチに「いまいち自分を理解されていない気がする」、とか。
今感じている「疎外感」に類似する苦しみを、いくつも思い出すことができるのではないでしょうか。
そのときに是非やってみてほしいのは、「そう感じたのは事実だろうか?」と、
その状況を検証することです。
感情に飲み込まれて、検証作業が難しいようであれば、自分が自分の親友になったつもりになって、
やってみてほしいのです。
親友にはひどいことを言ったりしませんよね。
自分にもそういう優しさで接してほしいのです。
たとえば、こんな風に反証を行うこともできます。
①同僚は私を信頼しきっているから、あえて私のご機嫌をとる必要を感じていない。
だからごくごくあっさりとした接し方になっている。
②私が話しているとき、同僚は自分の話題をやめてちゃんと聞いてくれ、会話が続いている。
嫌われているなら、会話が続かないはずだ。
③そもそも嫌われているなら、私は誘われないだろう。
④同僚を爆笑させて盛り上げなくても、自分はその場に加わることを許されているなどです。
そう、相談者さんの「主観的意見」を突き崩すことは割と容易です。
となりますと、相談者さんは、「嫌われていると思いたい」から、
そのための材料だけを集めていて、反論は拾っていない、ということが考えられます。
なぜそうなるのでしょう。
相談者さんは「自分が同僚のグループの前に登場したら、メンバーは飛び上がらんばかりに喜び、
自分の会話の一言一句に敏感に反応してくれなければならない」と思い、
そうならないことへの恐れを持っているのではないかと推測することができます。
つまり、目に見えて分かりやすい、過度とも言える承認を求めているのではないでしょうか。
そう考えてみますと、会社の同期との集まりのなかで感じた仲間はずれ感や、
部活のコーチに抱いていた理解されていない感じも、
「目に見えるぐらいはっきり承認されたい」という自分の期待が外れ、
「過剰なぐらいのOKを自分に対して表現してもらえなかった」ということで
引き起こされているのかもしれません。
なぜそこまで自分は承認されたいのか。
遡っていくと、ごく幼い、幼児か子供の時代に行き当たると思います。
それは、母親との関係でそうなっているケースがほとんどです。
毒親というほどではなく、ごく普通の親に育てられたとしても、
たとえばそれまでは快適に愛情を受けてきたのに、弟や妹が生まれたとたんに
「年上なんだからがまんしなさい」と、いきなり甘えることを禁じられる。
大人は頭で状況を理解しますが、子供はただ驚き、悲しくなります。
そして、それが続くと悲しみを抑圧し、代わりに「愛情をもらえるように」頑張ってしまうわけです。
でも、お母さんから選ばれず「疎外された」という感情は抑圧されているだけで、
なくなってはいません。
生傷のまま残っています。
治っていないから、その傷に触れるような出来事があったときに、痛くて飛び上がり、
それが感情という反応になって認識されるのだと思います。
<まとめ>
あるかたは、長いこと、見捨てられるかもしれない不安と戦ってこられました。
その種となる出来事は、幼少時代にありました。
それを抑圧したまま、痛みを避けようと無理な人間関係を続けて苦しんこられました。
そしてなぜか恋愛において、「見捨てられる不安」が生々しく自分を苦しめるような出来事が
立て続けに起こりました。
ある時、他人に理由を求めるのをやめ、自分の心のなかを探ってみたら、
見捨てられて苦しんでいた子供の時の自分がいたことに気づいたそうです。
そのように、「ああ、これが疎外感を感じる原体験だな」と思う出来事に行き当たった際は、
その当時の自分の苦しみなどを鮮やかに思い出してみて下さい。
その時に是非して頂きたいのは、瞑想です。
今の自分が当時の苦しんでいる自分を助けに来たことを、イメージしてほしいのです。
そして「今までほっといてごめんね。
苦しかったね。
でも、これからは私がついているから大丈夫だからね」と自分で自分に寄り添ってほしいのです。
必要があれば、当時の自分を苦しめた相手に、今の自分がきちんと異議申し立てをしてあげてください。
これは、自分の心を穏やかにするためのセルフケアを探求する方法です。
驚くほど効果があります。
「問題は自分のなかにある。
そして、苦しんでいる自分を自分が助けてあげる」ことで、心のなかの輝きを取り戻すことができるのです。
他人は、自分の問題を気づかせてくれる存在なのかもしれないとすら、感じることになります。
・・・「人は本来、心のなかに神様がいる。 」は、
世界中で見られる内神信仰の考え方です。
私たちの人生の大先輩、新渡戸稲造さんは、それを「内なる光」と表現しました。
その「内なる光」の存在を、幼い頃に受けた苦しみを避けるために、
心の奥深くに閉じ込めてしまうことが多いのです。
その結果、「自分が自分らしくあると、どうやらこの世では傷つくらしいぞ」と思ってしまうのです。
自分を守るためにそのように生きてしまいます。
ですが、「問題は自分のなかにある。
そして、苦しんでいる自分を自分が助けてあげる」ことで、自分で自分を癒すことも救うこともできます。
・・・自分のなかの光と一度つながることができたら、
繰り返し自分にサインを与えてくれる「悩み」を解決できるのです。
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