[ 折れない心:乗り越える力 ]◎「折れない心」なんてものがあるなら、今すぐほしい。
・・・折れてはつぎ、ついでは折れての繰り返しの中で、耐性がつきます。
言い方を変えるとすれば「いいかげん」がほど良く見につくということです。
・・・今できることを淡々とする。
「人からこう思われたい」という日々が続きますと、エネルギーを消費します。
心のバランスを崩します。
・・・周囲が盛り上がっている時に自分だけ輪に入れずにいると
何だか悪口を言われているように感じることはありませんか?・・・なんてことない雑談です。
・・・人は自分が思うほど、気にしてません、気にかけてくれてはいないのです。
・・・あれこれ気にして、へこんでいる時間は無駄なのです。
何よりも前向きのエネルギーを使うことが大切です。
自分に対して否定的な感情を持つことをやめます。
良い心の習慣への転換です。
やはり私たちは、逆境で心が折れないエネルギーの使い方をしたいものです。
大前提として捉えておくべきこととして、「人間の悩みは、ギリシャ神話の時代から変わっていない。」
ということです。
使徒パウロが「前向きなこと、楽しいことを考えよう!」と言ったのは、紀元前のことです。
何千年も前から言われていますが、「自分はなぜこんなにも辛いのか・・・」と考えます。
「ああすれば良かった・・・」と自分で悩みをつくっています。
うつ病者がどうしても明るく前向きになれないのは、無意識のうちに悔しさを抱えているからと言われます。
この怒りと憎しみは誰に向いているのかを真剣に考えなければ、前向きな心の姿勢は出て来ません。
自分の気持ちを深く考えることです。
ある面、自分の弱いところを自分で認めるということ、弱いんだから逃げてもいい、
逃げ道をつくるということです。
状況がどれほど否定的であっても、肯定的な要素は常にあります。
明るいものが少しでも見えていると前を向きます。
「日日是好日(にちにちこれこうにち)」は中国唐代の禅僧、雲門禅師の言葉です。
どの日もいい日だという意味ですが、必要以上に心配することなく、
今日なすべきつとめを精一杯つとめる連続が「日日是好日」という意味でもあります。
そうは言っても思うようにいかない日が多いものです。
鬱々とした日が続きます際は、日常を余計な感情を込めずに機械的に過ごしてみることも一手です。
「命さえ落とさなければ、何とかなる。生きていることが、何より大切。
不幸中の幸いリストを作ってみよう。」も良策です。
「苦しみも悲しみも受け止めて、一日一日、笑顔を忘れず、前向きに過ごしていこう!」ということです。
現代は、「個」の時代と言われます。
幼い子供もそれぞれの人格を尊重され、どんな道に進むかは自分で決める時代です。
しかし、子供自身が自分のしたいことがわからず、社会に踏み出せないということも見聞きします。
大事なのは、自分のしたいことをするよりも
「とにかく動く、努力して少しでも興味を持ったことはまずやってみる。」ということです。
挑戦しているうちに、残っていくものと興味が薄れていくものに分かれるものです。
つまり、おのずと自分の道が見えてきます。
自分の道というものは、意識や理屈で決めるものではなく、がむしゃらに努力するうちに残っていくものです。
時代が移り変わりましたが私たちは、うれしい時や悲しい時、思わず手を合わせています。
「ありがとうございます。」
・「いただきます。」
・「ごちそうさま。」と言いながら手を合わせます。
これは自分たちが思っている以上に信仰心があるということです。
生活様式が変わりましても、感謝する心を子供たちに伝えることはできます。
手を合わせる姿を見せることが大切です。
感謝する心は、巡り巡って自分の命を大切にすることにつながります。
この本質を次の世代に伝えていくのが、大人の責任ではないでしょうか。
子供世代・孫世代への伝承。
それもまた、『折れない心:乗り越える力』へのつながりではないでしょうか。
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