『今を生きる幸せ』
ついつい目を伏せがちな戦争の歴史。あの頃のことは果たして現実?
はるか昔の出来事?・・・日本人であればこそ決して忘れてはならない・・・
精神的に追いつめられて生きるのも苦しいとなった時に、
振り返るべきよりどころでは・・・必ず支えて頂けます。
鹿児島県の山あい知覧。かつて日本全国各地より二十歳前後の方々が集結され、
はるか250キロ先の沖縄へ飛び立って行かれました。
その地に、知覧特攻平和会館があります。会館へ入りますと正面に大きな文字があります。
「御霊のとこしえに安らかならんことを祈りつつ
りりしい姿を永久に伝えたい心をこめて
ああ、開聞の南に消えた勇士よ」
大東亜戦争末期の沖縄戦で、人類史上類を見ない爆装した飛行機もろとも
敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影・遺品・記録等貴重な資料を収集・保存・展示して
当時の真情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄するものです。
家族・国の将来を思いながら出撃されました地です。
沖縄戦で特攻戦死された1,036名の隊員は知覧基地を主軸として出撃しています。
史実を正しく知り、戦争のむなしさ・平和の大切さ・ありがたさ、命の尊さを
後世へ語り継ぎ恒久の平和を祈念。
「選ばれた誇りを胸に飛び立った。250キロ先の沖縄へ。開聞岳に別れを告げて。」
私たちは特攻隊員の皆様の崇高なる犠牲によって生かされ、国は繁栄の道を歩み、
今日の平和日本があります。再び日本に特攻隊を作ってはならない。
時代が与えた宿命とはいえ隊員の皆様が、帰らざる征途に臨んで念じたことは、
再びこの国に平和と繁栄がよみがえることであったでしょう。
「特攻出撃して敵艦に体当たりしたあと蛍になって帰ってくる。」・・・
出撃した日の夜9時、帰ると言われた時刻と場所(軍指定富谷食堂)に一匹の源氏蛍が舞い込みました。
ちょうど食堂では明日出撃する隊員たちが家族への遺書をしたためておりました。
不思議が起きたことに驚いて全員肩を組み「同期の桜」を合唱しました。
歌が終わるとその蛍はスーッと知覧の闇に消えて行きました。
再び還ることのない出撃を前に隊員たちは、真心のこもった手紙を書きました。
両親への感謝・幼い弟妹へのきずかい・この国の未来への想い・・・
永別の哀しみの中にも取り乱すことなくつづられた手紙にはまさしく無垢な思いがあふれています。永久に語り継ぐべき感動の記録です。
「いつまでもいつまでもお元気で・・・」
隊員の皆様が残した最後の言葉。・・・
若者たちが命を捨ててでも守りたかったものは一体なんだったのでしょう?・・・
それがこの言葉です。
「軍隊に入ってお母さんにお会いしたのは三度ですね。一度は去年の休暇、二度目は去年の暮近く館林まで来た頂いた時、あの時は嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。わざわざ長い旅をリュックサックを背負って会いに来て下さったお母さんの姿を見、何か言うと涙が出そうで、ついわざわざ来なくても良かったのになどと口では反対のことを言ってしまい申し訳ありませんでした。あのあとお母さんと東京を歩いた思い出は極楽へ行ってからも楽しいなつかしい思い出となるでしょう。あの大きな鳥居のあった靖国神社へ新平がまつられるのですよ。手をつないでお参りしましたね。今度休暇で帰った時もお母さんは飛んで迎えに出て下さいましたね。去年の時もそうでした。日本一のお母さんを持った新平は常に幸福でした。」
「ご両親様、いよいよ本日夕出撃の命令がありました。ご安心下さい。
必ずや立派に成功致します。
今は出撃二時間前です。我々一行朗らかです。私もニッコリ笑って行きます。
今はもう総ての俗念も去ってすがすがしい気持ちです。数時間後にはこの世を去るとは思えないほど、
抱える爆弾はどす黒く光っています。しっかり爆発するぞと言わぬばかりに。
では行ってきます。皆様お元気でさようなら。」
「只今より出撃致します。実に喜び勇んでおります。
丁度、小学校時代の遠足を思い出します。どんな獲物があるかと胸をわくわくさせて待っております。
決意とか覚悟とかいうようなこだわりは少しもなく本当に全員純真無邪気です。
小学校に通学する朝、行って参ります!と言って出掛けたことを思い出します。
本当に嬉しさでいっぱいです。では行って参ります!」
本当に涙が止まりません。家族を守る・日本を守る、その純粋ひたむきな熱い思いの結果、
かけがえのない多くの方々の命の代償の結果、今を生きる自分がある。
日々の暮らしの中で流されがち、忘れてしまいがちでありますが
究極に追い込まれた際は必ず救って頂けます。
その時に、その一瞬の極致に思いを巡らせた時に今の幸せを実感します。
私たちに出来ること、自分自身が積み上げて行く道、
それはお亡くなりになられた方々の「いつか日本の復興を・ふるさとの繁栄を!」の思いを心の中心へ据え、
自分の子供世代・孫世代へ語り継ぐ努力こそが
日本人である自分がなすべき最も大切なことではないでしょうか。
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