176 『ストレスマネジメント』

『ストレスマネジメント』

◎この世はストレスとの戦い!

 すでに使い古された感のある言い回しですが、夏目漱石の草枕の冒頭にこんな一節があります。

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」

・・・何をしても世の中は矛盾だらけで、全てを満たす解など幻想でうまくいかないというニュアンスでしょうか。

身もふたもないのですが、実際そうなのです。

 物事を決めるというのは、自分の時間やおカネの優先順位を決めること、要するに資源配分です。

資源は有限だからこそ「資源」と呼ぶのであって、無限であれば「資の源(みなもと)」にはなりえません。

無限であれば、意思決定に迷う必要もありません。四の五の言わず、全部やればいいのですから。

要するに何事も「あれもこれも」といかないということです。

物事はすべからく「あれかこれか」になるわけで、それはとりもなおさず、何かを決めるというより、

何かを切り捨てるということです。

・・・当然ながら、そこには大なり小なりストレスを伴います。

私たちの生活はストレスとのあくなき戦いでもあります。

<ストレスとの向き合い方>

1.「辞める」・「独立する」は逃避

 取引先に怒られ持ち帰って上司に相談すると、今度は上司に怒られ、

また取引先に持っていかなければならない。泣きたくなります。

あるいは上司の指示どおりの仕事をしたはずなのに、言った言わないの話になって、結局、やり直す。

部下に仕事の指示を出したはずなのに、思うような中身が上がってこないで時間切れになり、結局、自分でやる。

・・・よくある仕事の悩みです。仕事の悩みというより人間関係の悩みです。

悩んで悩み倒して行き詰まって、どうにもならなくなって周りに相談する。

このようなとき「そんな会社辞めちゃいなよ」とか、「思い切って独立しちゃえば」とか、

平気で言う人が時々います。視野を広げる、あるいはその悩みをもっと広い次元で相対化するという

意味合いで言ったのかもしれませんが、それを真に受けて本当に独立したりすると、十中八九、後悔します。

大抵の場合、サラリーマンのほうが起業家よりもずっと楽です。

独立したら、顧客との関係ひとつとっても、上司がいない分、顧客に直接向き合うことになるわけですから

生死を分ける緊張感が常に伴います。

人間関係の悩みを抱えていた人にとって、ストレスの量は増えます。

要するに、小さい自由を捕まえようとして、結果的に大きな不自由にさらされます。

・・・あるいはこんなアドバイスをする人もいます。

ルールに縛られてがんじがらめになっている人に対して、

「ルールなんて納得できなければ無視すればいいんだよ」とか、「ルールなんて破ればいいんだよ」と。

とても勇ましく聞こえますが、本当に破ると、そのコミュニティの中で抹殺される場合が多いのです。

「それでいいじゃないか」とたたみかけられそうですが、当事者のストレスはさらに蓄積され、

結局、問題解決に向かわない場合が多いのです。

・・・独立しろとかルールに従うなと言うのは、言っている自分に酔いがちだし、

格好よさげな響きもありますが、いずれもストレスや悩みを正面から受けないで、

どちらかというと逃げる勧めとなります。

自由すぎる無責任な意見で、誰もがルールを破ったり独立できれば、苦労はありません。

更に言えば現状逃避的ですし、何より逃げぐせがつきます。

与えられた環境の中で、逃げないで悩みやストレスに立ち向かうこと。

それが世の中の多くの人に求められる覚悟であり、現実です。

今の環境から逃げないで、歯を食いしばって立ち向かうのがストレスマネジメントです。

2.無責任に聞こえる他人からのアドバイス

 以前、ストレスを抱え行き詰った時に、「明けない夜はない」と言ってくれた人がいました。

これは正直、やたらに楽観的なアドバイスで、「そりゃ夜は明けるだろうけど、そこが問題ではなく

、今の夜の状態に耐えられないから問題なんだよ」と、心の中で叫ぶこととなります。

ですが、そのストレス期間が一巡し、自分なりに整理しますと、なんだか腹落ちするようになります。

『「明けない夜はない」はよく考えると、今を否定的にとらえる概念だ。

そうではなく、今、つらくてもその経験は自分を必ず成長させる。

そうした自覚の後に、夜は明けるのだ』と。

要するに今を肯定的に、夜明けを能動的に言い換えるようにするのです。

稀にですが、そもそも夜が来ない人、たとえば新卒からつねに上座にいられる挫折のない

エリート人生の人がいます。うらやましくもありますが、修羅場に最も弱い人は、そういう人だったりします。

人間の器とは、言い換えると、その人が経験した喜怒哀楽の振れ幅ですので、

悩みや苦労は自分の器を大きくする大事な時間でもあります。

そしてそれが不条理であればあるほど、自分を成長させられるのも事実です。

また、「明けない夜はない」の概念も、捨てたものではありません。

たとえば小さな池の中での悩みなのに、人生という大海の一大事のように感じてしまう。

自分という人間の一部を否定されたり、苦手だったり、経験がなかったりしただけなのに、

全人格を否定されたように感じてしまう。・・・大学入試で滑り止めに落ちたり、

就職活動で記念受験に落ちたりする時。もともと行けると思っていないし、

受かっても行くつもりがない場面でも、拒絶されることは、何か自分という存在を否定されたように

感じてしまいます。

ですがそれは自分のほんの一面であり、たかだか何十分かの時間で判断されたにすぎません。

そんな中で全人格を(自ら)否定するのも、ばかばかしいものです。

会社での悩み、学校での悩み、それはあくまで閉じられた関係の中での世界です。

世界はもっと広くて大きいもの。「夜が明ける」というそんな意識で相対化することは、とても重要なことです。・・・自分が悩み・落ち込みの時は、周りのすべての人がスーパーマンに見えるものです。

その後、時間が経ってあらためて振り返ってみますと、あのとき出てきた突拍子のないアイデアは、

あの事例の応用ではないかとか、入り組んだ議論の超絶整理は、

結局、過去の失敗に沿ってのアプローチだったのではないかと、

要は引き出しの豊富さに裏付けられていたんだと、だんだんわかってきます。

大抵のことは時間が解決してくれるのです。

3.承認欲求の扱い方

 「人は人、自分は自分」というアドバイスがあります。

これは、承認欲求を捨てよということになりますが、人間、そんなに簡単に承認欲求は捨てられません。

誰でも褒められればうれしいし、けなされたくはないものです。

ある意味、承認欲求を失ったらその瞬間に成長は止まります。モチベーションの原動力は承認欲求でもあります。

承認欲求を失ったら結果的に、他人に関心がなくなり、人間性喪失までに至ります。

・・・このことを、ある言い換えで納得できる方法があります。

「コントロールできないものにコミットしてはいけない」ということです。

自分の気持ちはコントロールできますが、他人の気持ちはコントロールできません。

だとするとコントロールできない他人のさじ加減にやきもきするというのは、関心の方向が違います。

要は相手の決めることを、自分が決める義務も権利もないということです。

答えのない問題を悩んでも仕方ないということです。・・・人間は、できることしかできません。

できないことはできません。今できることをやるしかありません。

そして精いっぱい努力した結果、そこから先、その内容を他人がどう思おうが、

どう評価しようが、関係ありません。

他人の意思決定にコミットはできないのですから、それは当然です。

・・・このことは、承認欲求を失ったのでも、成長に不感症になったのでもありません。

承認欲求は自分の中に持つべきものです。つまり自分自身の評価軸です。

今日の自分が昨日の自分とどう違ったのかという、そこだけを問うて行くべきことが肝要です。

自分自身のストレスマネジメント、そして自己研鑽!